池袋での高齢運転者暴走の初公判が、ありました。

今日は、池袋で、暴走して母子の命を奪った、高齢運転者、飯塚被告の初公判がありました。今朝迄、傍聴に行こうと決めながらも、4年前、聖菜を殺した、加害者と飯塚被告が、重なり、フラッシュバックし、耐えられる自信がなく、傍聴を諦めました。愛する家族の命を奪われ、真実を知りたい、加害者に殺した命の重みと向き合って欲しいと臨んだ裁判。4年前、私が、母親として、被害者参加した裁判の時が、蘇ります。重大事故を起こした、高齢運転者、被告は、裁判で狡猾で、更新により、運転を可能とされている事により、自分を正当化します。謝罪の言葉も自分の過ちではない事を前提とし、虚しく、憤りを感じます。そして、奪われた愛する家族の年齢、(聖菜は、16歳の誕生日をむかえる2日前の若さでした。)これからも続くはずだった、沢山の時間と生命の輝き、対峙する命を奪った者の老いた姿、加害者に遺された時間との違いが、私達遺族にとって、どれだけ残酷で虚しい事なのか、言葉では、言い表せない辛さでした。

飯塚被告の無罪の主張を松永さんが、どんな思いで、聴いていたかと思うと、同じ遺族として、胸が締め付けられます。

高齢者の時間の流れは、遺族にとって、非情です。どうか、この裁判で真実が、明らかになり、加害者が、高齢である事が、理由で、更に、遺族に苦しみを与えるようにならない様、相次ぐ、高齢運転者による重大な事故に、警鐘を鳴らす判決になる事を心から願い見守っていきます。