青春基地

聖菜の友達が「青春基地」で聖菜の事故について書いてくれました

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また多くの人に見ていただきたいので

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高校2年生の大西風香です。現在は10ヵ月間のアメリカ留学中です。親友の事故死をきっかけに、私にできることがあればとご遺族のお手伝いをしています、今回は事故から1年たったこともあり記事を書くことにしました。多くの人に、高齢者の車の運転や、大切な人と過ごせる日々の愛おしさについて考えてもらいたいと思っています。

2015年12月23日は、私にとって忘れることのできない日です。それは、かけがえのない友人だった、”稲垣聖菜” を失った日です。ちょうど冬休みが始まったあの日、本当は彼女に遊びに誘われていたけれど、留学準備に追われていた私は断わりました。もしあのとき私が断っていなければ、未来は変わっていたのかな。
私はTwitterのタイムラインをきっかけに彼女の死を知りました。”聖菜が、死んだ?”あの時の衝撃は今でも忘れられません。どうして聖菜じゃなきゃいけなかったのかわからない。   
その日の夜は、なかなか事故について受け止められませんでした。次の日にはきっと、いつもの笑顔とちょっとくせのある声で、「風香ー!びっくりした?w ドッキリでーす」なんて言って、ひょっこり現れるんだろうと信じたい自分がいました。Twitterに溢れる事故の記事、荒れるLINEのグループ。それらは余計に私を混乱させました。

事故翌日の部活は中止。当時、聖菜と同じ高校1年生だった部員のみの集会があり、そこで正式に顧問から彼女の死を告げられました。私の中のたくさんの思い出が蘇ってきて、涙が止まらなくなりました。そんな時、隣に座って一緒に泣いてくれる仲間がいた。事故当日に朝まで話を聞いてくれる先輩がいた。私を支えてくれた人たちには本当に感謝しています。

バケツいっぱいのお花と、彼女が大好きだった、たくさんのお菓子を抱えて向かった事故現場。聖菜が車との間に挟まれたというポールは見事にくの字に曲がって、根元から抜けかけていました。ポールがこんな風になるまで、聖菜の柔らかい体は車に押しつぶされたのです。どんなに苦しかっただろう。どんなに痛かっただろう。聖菜が最後に見た光景は、自分に迫り続ける車だったのだろうか。聖菜は怖い思いをしながら死んでしまったのか。こんなことになるなら、もっと写真を撮っておけばよかった。もっといろんなところに遊びに行けばよかった。もっともっと、「ありがとう。大好きだよ。」って、伝えればよかった。その悔しさが今も消えることはありません。時間を巻き戻すことのできない事実と、何もできない無力な自分を恨むばかりです。

事故後は毎日のように現場に行って、供えられたお花の前に座り込んでいました。「お花屋さんやってるの?」と間違われることもありました。同じ地域に住み、同じ道を使っているはずなのに、何も知らない人がたくさんいる。それは本当に悲しい事実でした。

お通夜、お葬式にはたくさんの人が参列していました。生前の聖菜が、冗談のように「うちが死んだら誰か悲しむのかな。お葬式とか誰も来ないだろうからやんなくていいよ(笑)」と言っていたのをふと思い出しました。聖菜はどんな気持ちで言ったんだろう。充分すぎるくらい愛されていたのに。

聖菜に最後に会ったのはお葬式の日。棺の中の彼女の左耳の横に、一輪のお花をたむけました。本当に綺麗な姿で、ただ眠っているようにみえました。彼女のことだから、イケメンにキスされれば白雪姫のように目覚めるんじゃないかとさえ思うほどでした。最後にそっと触れた聖菜の肌は氷のようだった。前日にふざけて抱き着いたときのぬくもりはかけらもなくて、「これは聖菜じゃなくて、聖菜の顔をした抜け殻だ。」そんな思いが頭の中をさまよっていました。

事故の2日後、12月25日は彼女の誕生日でした。プレゼントに作っておいた動画を、その日にLineで送りました。聖菜のかわりに、お母さんと妹さんから、「素敵な動画をありがとう。」とお礼の言葉をいただきました。それがきっかけで、よくお家に行くようになりました。和室にはたくさんの写真が飾られ、遺影の周りには現場にあったたくさんのお供え物が移されていました。同じように集まるメンバーも徐々に増え、学校やダンス部の行事を報告するようになりました。

そして何度も通ううちに、多くの人に出会いました。同じ中学だった人、新体操の仲間、仲の良かった高校の友達。本当に、たくさんの人たちに。今では、私にとってかけがえのない大切な人たちです。聖菜の死をきっかけに出会った私たち。絶対に、聖菜が死なないほうがよかったに決まっている。だからとても複雑な気持ちです。でももし、みんながお互いにさみしくならないように、と彼女が導いてくれたものだとしたら・・・。きっとどんなことがあっても永遠に繋がっていられる、いえ、繋がっていたい仲間です。聖菜の忘れ形見としても、大切にしていきたい。

今年の四月には、聖菜も参加する予定だった蕨高校ダンス部の舞台イベントがありました。お母さんが娘の生まれ変わりとして大事にしているウサギのぬいぐるみ(通称:聖菜うさ)が代わりに出演しました。時の流れは本当に速い。そして私の心の傷を癒してくれる。でもその一方で、記憶を薄れさせてしまう。そんな中、今でもご家族、幼馴染、同級生ら多くの人が、彼女の死を無駄にはするまいと活動を続けています。
先月から相次いでテレビで報道されています。同級生の男の子が始めた署名活動をご存知でしょうか。聖菜にもう2度と会うことができない、その重い事実は、私たちの心にぽっかりと大きな穴をあけ、今でも苦しめます。でも、私たちは向き合わなくてはいけない、逃げてはいけない。どうかみなさんにも、真剣に考えてほしいのです。
知らない場所で、知らない少女がたった一人、亡くなった。ただそれだけのことかもしれない。でも、私たちにとってはかけがえのない存在でした。でも、もういない。この先二度と、会うことはできない。どんなに頑張っても帰ってこない。みなさんは想像できますか?つい昨日まで一緒に笑っていた友達が突然いなくなってしまう、この気持ちがわかりますか?これ以上、同じつらい思いをする人を増やしたくありません。それが私たちの願いです。

【change.org】高齢者による人身事故の防止、免許更新制度の改正及び自動車技術開発のより一層の発展を強く願おう!!
(change.orgより写真を引用)

この先も、みんなに覚えていてほしい。
”稲垣聖菜”という少女がいたことを。アクセルとブレーキの踏み間違え、というその一瞬のミスによって命を奪われたことを。今もその悲しみと懸命に闘っている人たちがいることを。そして何より、誰もが明日、命を落としてしまう可能性があることを。決して後悔しないように、自分の大切な人に、”ありがとう、大好きだよ。”と伝えてあげてください。何も起こらない、そんな平凡な毎日を大切にしてください。

全文引用:青春基地「“12月23日”」 http://seishun.style/column/1614/

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